日本認知症学会

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オンライン若手キャリア座談会  2024年2月

基礎研究促進委員会と広報委員会合同で、認知症研究の第一線で活躍する若手~中堅の先生方4名にオンラインで集まっていただき、座談会を開催いたしました。臨床研究、バイオマーカー研究、トランスレーショナルな研究そして、分子レベルでの病気のメカニズムにかかわる研究と、多彩な領域でご活躍の先生方のキャリアを参考にしていただけましたら幸いです。

参加者 (  )内は大学卒業年度
井原涼子 東京都健康長寿医療センター 脳神経内科 (2002年)
梅田知宙 大阪公立大学大学院 医学研究科 (2003年)
及川尚人 北海道大学 遺伝子病制御研究所  (2004年)
春日健作 新潟大学 脳研究所  (2000年)
富田泰輔 東京大学大学院薬学系研究科 (司会、基礎研究促進委員会)
木下彩栄 京都大学大学院医学研究科(広報委員会)

自己紹介 

富田:今日はお集まりいただき有難うございました。日本認知症学会の若手研究者の方のこれまでのキャリアについてざっくばらんに振り返っていただきたいと思います。
まず、みなさんが今やっている研究を、簡単に紹介してもらえますか?

梅田:まさに今やっているのはトランスレーショナルリサーチです。候補となるマテリアルを片っ端から動物モデルで評価していって、ほとんどスクリーニングをやっているような感じです。特にMorris water mazeでマウスの認知機能をかなりの高精度で測定するという手法を確立してきましたので、Morris water mazeで個体レベルの認知機能改善を指標に、いきなり候補薬のスクリーニングをするなんて、他ではあまりないかもしれないです。一か月のうち二週間も三週間もずっとプールの前で、泳ぐネズミを見続けるというような仕事をしています。あとは、その認知機能とパラレルになるような病理の改善を見ていく、といったところです。
少し前までは、認知症マウスモデルの作成を多数手掛けてきました。とにかく認知症を治したいという気持ちが強かったんですが、ただ、(自分は)お医者さんになるというよりは、薬を見つけるんだ!という気持ちが強く、そのためにはまず一番いいモデルは何だろう、一番いいモデルマウスを作らないと、という気持ちで、ちょっと前までは色々なモデルマウスを片っ端から作成してきました。それらモデルマウスの作成で、認知症学会で賞をいただいたりもしました。今はようやく夢叶って、それら自分で作ったモデルマウスや、広く知らていれるモデルマウスも併用し、候補薬の探索、トランスレーショナルリサーチを手がけているというところです。

井原:臨床研究全般のオペレーションに関しては、いろいろ広い知識を持っていますので、臨床研究の効率化ということに関わっています。個別のテーマに関しては、前臨床期アルツハイマー病の効率的な同定が最大のテーマです。
あとは、認知機能検査を扱うことが多いので、認知機能検査や臨床評価の品質管理といったマニアックな内容ですけど、そういったことをやっています。

及川:Aβとタウというアルツハイマー病の中核病理が形成される起点にこだわっていて、そこがわかればいいかなって思っています。Aβに関しては博士課程でお世話になった柳澤先生(*1)の視点、つまり、神経細胞膜と結合して構造が変わるということがあるんじゃないかという仮説を参考にしてします。家族性アルツハイマー病の遺伝子変異でも膜側に病的な変化が生じてそういうことが起こっていたら、多分それ(膜と結合すると構造が変わること)は無視できないと思うので、そこはをこだわりたいと思っています。タウに関しても、ニーマン・ピック病C型って結構大事かなと思うので、そこのメカニズムまで探れたらと思って今少しずつ進めているところですね。あとは、今所属しているラボ独自の研究テーマの、認知症に関連する因子の機能解析についても報告できたらと思っています。

春日:脳の病気っていうのは今までは臨床症状で診断していたんですけれど、やはりそれだと診断精度に限界があるということで、私はアルツハイマー病を含めた神経変性疾患の体液バイオマーカー、つまり脳脊髄液とか血液を用いて脳内病理を検出できるマーカーの探索と解析を進めているのが一つです。もう一つは、これまでプレセニリン変異等による家族性のアルツハイマー病の患者さんを診る機会がありましたので、そういった方々の発症前からのフォロー、あるいは発症前の方に対する治験薬の投与というような家族性アルツハイマーに対する臨床研究です。

認知症研究に関わるようになった経緯

富田:次に、認知症の研究に関わるようになった経緯についてそれぞれお答えください。

梅田:大学院に進むあたりになると思いますが、今でいうと兵庫県立大学理学部(当時は姫路工業大学)で最初は老化の研究がしたいと思って、研究室を探しました。

富田:老化って、今は流行りだけど、その頃はどうだったのかな?

梅田:大学に入ったのが1999年で、大学入試の時に老化の研究をしたいと面接で言ったんです。そうしたら、面接官には「老化って言っても、いろいろあるから、、、」とあまり真剣にとらえてもらえなかった。でも、自分は、Klotho遺伝子の研究とかをニュースで見て、「いよいよ、今から老化の研究をするんだ!」と思ったんです。

富田:今の、ポイントだね。Klotho遺伝子が出てきて、自分の人生の転換点になったんだね。

梅田:たまたまそのニュースが入試の直前にあったので。面接官の響きは悪かったみたいですけど(笑)。そのあと、老化の研究をずっとやりたいと思ったまま、2~3回生の研究室配属の時に高血圧をやっている部屋に行ったら、京大の下濱先生(*2)との共同研究をしている部屋だったんです。下濱先生がアルツハイマー病孤発例から見つけられたPLCδ1変異の疾患寄与効果の解析というチームに所属することになりました。老化は老化なので、自分としては満足して研究して。大学院を選ぶときには、そのままアルツハイマー病関連で、当時は大阪市立大学(今は大阪公立大学)の医学研究科の森啓先生(*3)と富山貴美先生(*4)のラボを訪ねて、「どんな研究がやりたいの?」と聞かれたので、たまたまその時NHKの特番で高島先生(*5)がGSK3βが大切だとおっしゃっていたので、、、、

及川:覚えてる、覚えてる!

梅田:僕はその大学院の面接で、「(アルツハイマー病の原因が)GSK3βが原因だと聞いたので、それをやる」と言って森先生の部屋に入ったんです。

木下:結構、人のつながり、人の影響が大きいんですね。

梅田:今こうしてしゃべっていて、自分はミーハーだなと思いました。ニュースとかで見たことをすぐやりたくなる。

富田:高校生、大学生としては、十分情報収集していたんじゃないかな。研究したいというのがそもそもあったんでしょ。

梅田:そうですね。大学選ぶ時点で、研究したいというのはものすごくあった。

富田:次は井原さんに聞いてみよう。研究に入るまでにいくつかポイントがあったら教えてください。

井原:私が高校生の時に、家にすごく難しいことをわかりやすく書いてある分子生物学の教科書が10冊くらいあったんですよ。それを見て神経に興味を持ったのが最初です。私たちMD(医師)は、研修医を終わった後に入局するんですが、そこが最初の転換点でした。研修医で(各診療科を)回った時に糖尿病内科がとても楽しかったんです。神経は神経で面白くて、神経学的所見を取ったりするのも好きだったんです。迷ったんですけれど、糖尿病内科の先生に、「科の雰囲気やどの先生がいるかということより、やりたいことで決めなさい」と言われたのが契機で、結局神経内科を選びました。
大学院には、卒後6年目で入ったんですが、その少し前になぜか「医学のあゆみ」で軽度認知障害の総説を書いてくれと、ほとんど面識のなかった岩坪先生(*6)から依頼があって勉強して書いたことがあったんですね。だから、少しアルツハイマー病のことに触れた機会があり、さあ研究テーマをどうしようというときに、タウの研究か、バイオマーカーの研究をやりたかったんです。だけど、周囲でやっているところはないし、全然テーマも決められないし、すごく悩んだ時期がありました。あまりかっこよくないですが、私の場合、流され人生でして。4月から研究生活という直前の3月中旬くらいに、電話番号を知らないはずの岩坪先生から夜遅くに電話がかかってきて、「井原さん、今、面白い研究やってるんだけど、これから来ない?」と言われたので、自転車を飛ばして研究室に行ったんです。そうしたら「修士の人が卒業するから、続きやらない?絶対モノになるよ」と言われてやり始めたのが、私の学位のテーマ、TDP-43のトランスジェニックショウジョウバエの研究です。なんかよくわからないけど、そこで決まってしまったという感じです。父(*7:井原康夫博士)がアルツハイマー病の研究者で岩坪先生とも親しかったということで、私の電話番号は父から聞き出したようです。父に「涼子さん、まだ研究テーマ決まってないんですかね」みたいな電話がかかってきたらしいです。
その頃、岩坪先生自身がアルツハイマー病の臨床研究(J-ADNI研究)をやっていくというタイミングだったので、私も臨床研究にもかかわることになりました。
大学院卒業した後は、そこも迷いましたが、日本は臨床研究が遅れているから、ということで、臨床研究に完全に舵を切ったという感じです。流され人生ですけれど。

富田:僕も岩坪研にいたので、井原さんがタウの研究をしたいのは知っていたんですけれど、なぜかTDP-43の研究に回っちゃったなと思ってました。

井原:大学院を卒業した後、留学先を考えるときに、基礎研究に戻ってタウをやろうかな、と思ったこともありましたが、完全に臨床研究の方に行きました。ここだけは「流され」ではなくて、自分で決めたところです。

富田:ありがとうございます。次、及川さんお願いします。

及川:僕は、小学校か中学校くらいから、体の調子を整えるという仕事は大事だなというのが根底にありました。じゃあ、自分が何をしたらいいのか考えると、お医者さんはもちろん大事だけれど、お医者さんでも困ることをサポートできる仕事ができたらいいなというのがありました。その当時、30年くらい前なんですが、高齢化社会に入ってくるところで、ニュースでもアルツハイマー病というキーワードがよく出てきていました。また、記憶がなくなるというのにも興味があって。これは、アルツハイマー病の理解をしたいと思って、それをやるためには、大学に行かなければいけないということで、進学しました。
学部の時は、神経生物学の勉強をして、卒業研究は脳神経内科にお世話になりました。鳥取大学なんですが、涌谷陽介先生(*8)にgeneticsを教えていただいて、たんぱく質の生化学実験に関しては、和田健二先生(*9)に教えていただきました。当時はタウのことを研究されていたので、タウの実験を行いました。
大学院では、アルツハイマー病の研究をしているところを探したら、東大の薬学部(当時)の岩坪先生、医学部の井原康夫先生がいらっしゃいました。大学院の試験の内容を考えると医学系研究科の修士課程がいいだろうなと思って、井原先生にメールをして見学をお願いしたところフレンドリーに「いいよ、見学しなさい」と言っていただきました。なので、大学院説明会に行ってラボを見学して話を聞いて、「来てもいいよ」と言ってもらったんです。運よく試験も通って、タウの研究をお手伝いすることになりました。
そこで、1年半くらいタウの勉強をもしたんですが、Aβの勉強もしたいと思って、井原先生に相談したんです。そうしたら、柳澤先生を紹介していただきました。当時、Aβがなんで凝集するのかっていうのを知りたかったのがあって、柳澤先生がなぜ膜にくっつくAβにこだわっているのか全くわからなくて、それを勉強したいということで博士課程はそちらに進学しました。
それ以後はもうずっとAβをメインに、その凝集の開始のメカニズム、最初のinitiationは何なのか、ということをやってきて今に至るという感じです。

富田:留学のテーマはちょっと違ったよね。

及川:留学は、柳澤先生に、「ちょっと外へ出てこい、外を見てこい」と言われて決めました。運よくそういう資金をいただいたので、プレセニリンとAPPのmutationを含めて、familialでAβ42, Aβ40以外のファクターってたぶん関係しているだろうなと思って、プレセニリンの機能障害をもう少し突っ込んでやりたいなと。そういうラボを探して、プレセニリンと脂質代謝の関係について研究をしていたドイツのJochen Walterのところに連絡をしたら、来てもらっていいですよ、ということだったので、留学しました。

富田:きっかけとしては凝集だったけれど、そこから流れてきていろいろな方向に行っているという感じですね。ありがとうございました。次、春日先生お願いします。

春日:私が高校生の当時、バイオテクノロジーが流行っていて、遺伝子研究をやりたいなと。1年間浪人している間に、やはり生物系の研究をやりたいなと漠然と思っていたんです。そんな時、親友のお父さん(のちに神経内科医だと知った)から、「春日君、新潟には、脳みその研究所(新潟大学脳研究所を指す)があるんだ」と勧められて脳研究に興味をもち、新潟大学医学部へ進学することにしました。
入学当時は医者になるつもりはなかったのですが、6年間学生して、だんだん臨床に触れていくうちにどこかしらで臨床をやろうかなと思うようになり、卒業の段階で脳を専門とする神経内科に入ろうと決めました。
神経内科の研修当時、佐渡の急性期病院で勤務していたのですが体重が半年で10キロ減るほどの激務ながら充実していて、来る日も来る日も脳卒中の患者さんが来るんで、「一生、脳卒中で食べていこうかな」と思っていたんです。ところが、研修期間の最後の1~2週間のところで、当時の上司の先生が「春日君、ちょっと、老健(介護老人保健施設)に行ってきなさい、勉強になるから。」と。老健に行ったところ、おしぼりたたみをしている老人が二人いらっしゃって、「春日君、右のおばあちゃんには嘘をついてもわかんないんだけど、左のおばあちゃんに嘘ついたらダメなんだよ。」と施設長の先生がおっしゃって。なんでなのかなと思ったんですが、片方の方は血管性認知症の方で、記憶はしっかりしているんです。もう片方の方は、アルツハイマー病で嘘をつかれたことも忘れてしまうということで。こんな興味深い病気があるんだ、、、と脳の奥深さを実感し、脳卒中を捨てて、認知症をやろうと決めました。
そのタイミングでちょうど池内先生(*10)が留学から帰国されたので、大学院は、池内先生のところで認知症の研究に取り組むことになりました。当時は生化学的な仕事もさせていただいたんですけれど、留学から戻ってきた段階で、バイオマーカーの研究に携わることになりました。

富田:ありがとうございます。みなさんそれぞれ面白いですね。みなさん病気にそもそも興味があったっていうのはもちろんあると思うんですけど、そこから先、いろんな人と出会いがあって。それはやっぱり重要ですね。その道を開いてくれた先達たちがいてというところと、もともと病気に興味があるっていうところは大事だったのかなと思います。

今後やりたいこと

富田:最後に、今思っていることとか。今後やりたいこととか、簡単に紹介してもらえればと思います。

梅田:今後、認知症研究のフィールドが広がっていくような活動ができたらなと思いますね。認知症研究の面白さを我々だけがすごく知っていて、でも外から見たら「認知症研究の奴らで固まってる」ように見えてると思うんですよね。それが、将来、例えば精神疾患なども脳の病気として捉えられるようになるとか。あと、僕が最初からずっと興味のあった老化として認知症を捉える、みたいに認知症研究というフィールドが縦横無尽に広がっていくといいなと思いますね。
そして、自分自身がトランスレーショナルリサーチをすごく面白いと思っているので、病気のメカニズム解明だけでなく、「治す」という方向に興味があります。それも1分子をターゲットにするという今までの(薬の)イメージを超えるようなのに興味があります。代替医療であったり、東洋医学的なものにも興味がありますね。

富田:今、薬もできてきて、行政だけじゃなくて保険とか民間のところでもいろいろなステークホルダーが出てきている中で、研究も広げていくというか、研究できる場所は増えてると思うので、そういった意味ではとても大事かなと思います。

梅田:抗体医薬すなわちレカネマブの登場で一発バーンと可能性が出たので、次は抗体以外のものを使って、というのはもう直近の次のステップですよね。

富田:薬としてはね。でも多分、今、梅田さんが言っていることは、薬以外にも広がる可能性は大いにあるかなと思います。

井原:私は、他の方と比べて、研究というよりも社会実装に近いところにいます。例えば治験に関わったり、臨床研究、バイオマーカー研究とか、そういったところに関わっていきたいと思っています。私の関心事の一つの前臨床期アルツハイマー病の同定の効率化というのも、社会実装を目指すときに大事なところだと思うんですね。研究成果が出てきたときに、社会実装をする段階には、基礎研究と違う難しさがあるのですが、その難しさこそ楽しいと感じています。ですので、そういった社会実装に今後も関わっていくんだろうなと思っています。
もう一つは、認知症とか脳研究全般もそうですが、いろんなレベルでの啓発ということに非常に関心を持っています。例えば一般層向けとか開業医の先生向けとか、あるいはもっと専門家だとここが必要、と全部違うレベルのお話が必要になってくると思うんですけど、そういうことをやっていきたいです。

富田:ガンとか糖尿病とか最近、フレイルやメタボリック症候群なんかもそうだけど、メディアを使って啓発活動してきていますね。やっぱりそういうのがすごく一般の人へのアピールの力が大きいので、これから認知症に関してもそういう活動が重要な活動になってくると思います。じゃあ及川先生お願いします。

及川:僕はやっぱり自分のやっていることを突き詰めていきたいと思います。タンパク質の凝集がそれ以外の因子の介在によって、もしかしたら説明できるかもしれないというところをやっていきたいですね。またその結果として、今はAβとタウですけど、αシヌクレインとTDP-43もそうだし、それ自体のみで(凝集が)説明ができないかもしれないという視点を持ってもらえたらいいなと、そういうところに貢献できたらなというふうには思っています。
もう一つは、啓発というか、学生さんは結構、認知症に興味がある人が多いんですよね。そういう人たちってまだ若くて将来性豊かなので、そういう若い人たちのサポートというか、自分の興味があることや疑問に思うことを突き詰めるサポートをしたいなというのはあります。そういう意味で医療とか研究に貢献できたらなと思っています。

富田:ありがとうございます。研究も新しい局面を迎えているということもあって、病気に興味を持っている基礎研究者の人や学生さんも多いので、その人たちにどういうふうにアピールするかというのはやっぱり重要ですね。春日先生お願いします。

春日:私は、梅田先生みたいに直接治療法を開発しているわけではないんですが、診断の確立を通してなるべく現場に最先端の医療の提供をしたいというところです。例えば、血液バイオマーカー等が普及すると、より診断が確実になり、かつ広範に使えるようになります。そういうところを目指していければなと。あとは、若年性のアルツハイマー病患者さんを見る機会が結構多いのですけど、診断までにかなり多くの検査をしなければならず、長い時間がかかってしまうので、より確実な診断法を確立して、早く届けられるというところを目指して研究を進められればと思っています。

富田:ありがとうございます。これから早期診断に向けて、さらにもっといろいろと展開していく必要があると思うので、春日先生の仕事は実現しなければいけないポイントだなと思いますね。

木下:今日は、バラエティーに富んだ先生方のお話をありがとうございました。高校時代ぐらいからずっとこういう研究がしたいと思ってらっしゃる先生から、臨床入ってからどうしようかなと迷ったりされてる先生まで、本当にいろいろおられて、それぞれの研究のバックグラウンドも全然違っていて、多彩なお話が聞けて大変参考になるなと思いました。

木下:実は、私も岩坪先生にこの道に引き込まれた口なんですが、その前に、秋山先生(*11)のところに研究に行っていたことがあるんですよ。秋山先生が、臨床ではなく研究一本で行くことを決意された時に、臨床医でいらしたご自身のお父様が、「これからは認知症の人が増える。医者を辞めて研究をするのであれば、できるだけたくさんの人に役立つ研究をするように。」と言われたそうなんですよね。それがすごく心に残っていて。で、私も結局のところ認知症の研究に入ったんですけれど、、、。だから、やっぱり人の言葉ってすごく影響があるんだなって思って、それを最後に皆さんにお伝えしたいなと思いました。

富田:ありがとうございます。とても大事なことだし、逆に、我々は今から20代、30代の人たちにそういう言葉をさりげなく聞かせる立場になってしまっているので。やっぱり先達の綿々としたつながりがあるんだなと、今日改めてわかったので大変勉強になりました。ありがとうございました。

脚注

1:柳澤勝彦先生 国立長寿医療研究センター 前研究所長
2:下濱俊先生 札幌医科大学 名誉教授
3:森啓先生 日本認知症学会 元理事長、大阪市立大学 名誉教授
4:富山貴美先生 大阪公立大学 認知症病態学 研究教授
5:高島明彦先生 学習院大学理学部生命科学科 教授
6:岩坪威先生 日本認知症学会 理事長、東京大学大学院医学研究科 教授
7:井原康夫先生 日本認知症学会 元理事長、東京大学 名誉教授
8:涌谷陽介先生 倉敷平成病院 認知症疾患医療センター長
9:和田健二先生 現 川崎医科大学 認知症学分野 教授
10:池内健先生 新潟大学 脳研究所 生命科学リソース研究センター 教授
11:秋山治彦先生  日本認知症学会 前理事長

Online座談会の様子 (2024年2月)